2017-10

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臨死体験で末期癌が消えた⑤

臨死体験をされた女性アニタ・ムジャー二さんのお話しをご紹介しています。

臨死体験で末期癌が消えた④ の続きです。

以下、日本語部分だけを抜粋して転載させていただきます。
http://yukosait.blog21.fc2.com/blog-entry-74.html



(この臨死体験の記事は、
アニータ・モージャニさんの公式サイトの英文記事をゆうこさんが和訳されたものです)

臨死体験で末期癌が消えた ⑤

臨死体験研究協会による アニータへのインタビュー [2] 

【臨体研】
以前、「一体感」 ということについて話しておられましたね。
臨死体験をしていた時、「あらゆるものとつながっている感覚、 『根源的実在』 と
つながっている感覚があった」 と。
その感覚について、もう少し説明していただけますか?


【アニータ】
あの臨死体験のあいだ、わたしはあらゆるものとつながっている感じがしていました。
わたしはあらゆるものであり、あらゆるものがわたしでした。
これはとても説明しにくいんです。
説明する言葉というものが存在しないんですから。

本当は分離なんてないんだ…、分離の感覚は、わたしたちが肉体存在に入り、
思考を通して世界を見るために生まれるんだ…、という感じでした。
もっと言えば、「分離とは思考のことだったんだ」 という感じです。

そこにはすばらしい明晰さがあったのですが、それは思考の明晰さではなく、
思考でない何者かが 「気づき」 の働きをしているようでした。

そしてその何者かは、
「思考こそが分離意識の正体であり、思考こそがわたしたちを 『根源的実在』 から
分離させた原因だ」 ということに気づいていたんです。

そして、自我と思考は同じものだと感じられました。
だから、思考を超えたその意識状態では、自我もなく、執着もなく、
すべてが一体でした。

あらゆるものに対して一体感が感じられました。
誰に対しても、何に対しても、差別も批判も全くありませんでした。
犯罪や病気は、みんな1つのことから起こるんです。
それは、心が 「根源的実在」 から分離して病気になったために起こり、
心がその分離をどうとらえるかによって起こるんです。

わたしたちは、思考の外に立つことさえできれば、何も問題がなくなります。
わたしたちは完璧なんです。
不完全さも思考の産物なんです。
批判もそうだし、何もかもそうです。

ところがわたしたちは、思考を始めた途端に、分離についてあれこれ考え、
理解しなければ、と思ってしまいます。
でも、すべての問題は思考から来てるんです。
本当は、わたしたちは思考じゃないんですから。

ただ、あの意識状態の時、わたしはあらゆるものと一体だと感じてはいましたが、
同時に自分を 「根源的実在」 とは別の一存在として意識していたようでした。
わたしにはわたし自身の進化過程があるのでしょう。
それは、「わたしにはこの個別意識があり、それは真実の自己ではないんだけれど、
わたしはそれをできるかぎり進化させる義務がある、
でも、わたしは思考の外に立って、その個別意識を眺めている」 という感じでした。


肉体の中にいる時は、わたしたちは個別意識の中にいて、外の世界を見ています。
そのため、すべてのものの個別感が、明白な、疑いのないものに思えてしまいます。
個人の問題も、世界の問題も、みんな、
思考を自分だと思っているために起こるんだと気がつきました。それは幻想なんです。

個別意識というのは幻想なんです。
でも、わたしたちはいつでもこの幻想から目覚めることを選べるのだと
わたしは思います。そして、

もし自分が目覚めれば、それが広がって、まわりの人たちも変わります。.
そして、わたしたちはこの世で生を営みながら、幻想に巻き込まれないことも
選べるんです。
幻想を幻想と知りながら、現象としての自分を表現していくことも選べるんです。

わたしは臨死体験をして以来、この幻想は、
人間が造り上げたものに過ぎないんだと感じられるようになりました。
個体意識が造り上げたものなんだと。


【臨体研】
ところで個体意識と言えば、テレパシーについてはどう思いますか?
 あれは、個体意識と個体意識の交信なんでしょうか?


【アニータ】
それはもう間違いなく、個体意識同士のものじゃなくて、個体意識を超えた何かだ
という気がします。先ほど言ったような、存在同士の一体化であり、
根源的実在との一体化だという感じがするんです。
その一体化が起こっている時、わたしたちは他の人たちとつながれるんだと思います。

わたしにとってはこんな感じです。
仮に、わたしがテレパシーであなたと交信できるとしましょう。
そこで何が起こるかというと、わたしは思考を止めて心を透明にし、
「根源的実在」 との一体化が起こる意識状態になります。

その時あなたも同じことをしています。
そうすると、言わば、あなたとわたしは両方から 「根源的実在」 のデータ・ベースに
アクセスしてるような感じになるんです。

では、どうしてそれが個体意識同士の交信のような感じがするのかというと、
この3次元世界では、わたしたちは交信もアクセスも、個体意識のレベルで
やっているからです。でも、二人ともその 「根源的実在」 のデータ・ベースに
同時にアクセスし、その内容を、個体意識を使って交信しているのですから、
同じ答が出ることになります。

だからわたしたちにはそれが個体意識同士の交信のように思える。
でも本当は、二人ともその答を 「根源的実在」 のデータ・ベースから得てるんです。

わたしには、そんな感じがしています。
そういうことがあるために、わたしはいつも執着心を整理して、
「根源的実在」 とつながれるようにしておくことが大事だと感じています。
そうすれば、自分にふさわしい人たちとつながれるようになります。

なぜなら、その人たちは自分と同じ明晰さのレベルにあり、自分と同じように
そのレベルから 「根源的実在」 にアクセスするからです。

根源的実在とのつながりを閉ざしている人たちは、霧の中をさまよい、
同じ霧の中にいる人々と衝突し、ぎこちなく、もがきながら人生を送っています。

一方、目覚めた人たちは、透明で、霧の中にいる人たちの真ん中を通り抜けて
行きますが、その人たちにぶつかったり押しのけたりすることはありません。
なぜなら、そのエネルギーがとても透明で、軽いからです。
わたしにはそんな感じがしています。


【臨体研】
次にあなたの個人的な人生について、もうちょっと深く知りたいんですが、
過去の生き方とか、考え方とか、今はどんな生き方をされてるのか、とかですね。.

それから臨死体験で、ご自分の現在の状態の原因がすべてわかったとの
ことですが、そのことについてもう少し説明していただきたいのと、
あとは、あなたの人生の特殊状況ですね、たとえば生い立ちの文化的背景とか、
宗教的信条なんかがあれば、それも話していただけますか?


【アニータ】
はい。 わたしは多文化、多言語の環境で育ちました。
両親はインド出身で、わたしはシンガポール生まれ、祖父母はスリランカに住んで
いましたが、わたしは香港で育ち、英国式の教育を受けました。
そして働き始めると、1つにはわたしの語学力のためもあって、
仕事で世界中を旅するようになりました。

わたしはヒンドゥー教の家庭に生まれましたが、信者ではありません。
学校は多国籍で、同級生は、キリスト教徒、回教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、
道教徒など、さまざま。全くの無宗教の人たちもいました。
香港で育つと、宗教は人生の重要な要素ではなくなります。
香港には様々な文化が混在してるんですから。

宗教的信念というのは、香港では人それぞれが自分の人生の中に織り込むもの
のようです。わたし自身は、特にどんな宗教も信仰してないんです。
まだ学校に行っていた頃、わたしは様々な宗教にさらされていたので、どうして
それぞれの宗教の間に明らかな矛盾があるのか理解できず、とても悩みました。
そして、宗教と科学の明らかな矛盾も理解できませんでした。

宗教の時間には生命の創造について1つのことを教わり、
科学の時間になると、同じテーマについて全く別のことを教わるのはなぜなのか、
理解できなかったんです。

わたしは何年もその答を探し続けましたが、満足のいく答は見つかりませんでした。
でもそれは臨死体験までのことです。 今ではもうそんな探求はしなくなりました。
すべての答を知ったわけではありませんが、
もう探求の必要を感じなくなったんです。
死がわたしに、どうやって生きたらいいかを教えてくれたような気がします。

それはともかく、わたしは臨死体験で、
自分が多文化を持つ人間であることの重要さに気づき、なぜ文化の上でも
教育上でも両極端 (東西文化の組み合わせ) にさらされていたのかということも
理解できました。もう本当に明瞭にわかったんです。

そして「生」 に戻るかどうかの選択を任された時、最初、「死」に進みたいと
思いました。あの意識状態では、こちらに残した愛する人たちへの執着は
感じられなかったんです。でもすぐに、こんな思い (気づき) が浮かんできました。
「今こそわかった! じゃあ、生に戻って、この新しい気づきと共に生きてみよう!」

そしてもう1つ明瞭にわかったことは、
なぜわたしの (最高に素晴らしい) 夫がああいう人で、なぜわたしたちは一緒に
生まれてきたのか、ということでした。
そして、二人が一緒にやるべきことはまだいっぱいあり、もしわたしが死を選べば、
彼もすぐに後を追うだろう、ということもわかりました。
二人の目的はつながり合っている、という気がしたんです。

また、もしわたしが「生」 に戻らなければ、
その時点まで成長したわたしのために人生が用意してくれていた、たくさんの
贈り物がふいになってしまう、という気もしました。
それは、言ってみれば、
「準備は終わった。舞台は整った。さあ、行って、自分の役をやろう」 という感じでした。
言葉は充分ではありませんが、まあそんな感じです。


【臨体研】
臨死体験で、前世がちらりと見えた、とのことですが、
あなたは輪廻転生というものを信じていますか? 
それはあなたにヒンドゥー教の背景があるからでしょうか?


【アニータ】
率直に言えば、わたしがあれをあんな風に過去世としてとらえたのは、
ヒンドゥー教の背景があったからでしょう。
でも実際には、あの意識状態で体験した他のすべてのことと同じように感じて
いたんです。全部が同時に起こっていましたから。
だから実際には 「過去世」 というよりは 「平行して存在する世」 のような感じでした。

自分の未来も見ましたが、それもやっぱり現実のものだという感じがしました。
過去、現在、未来、それが全部同時に起こっていると感じられたんです。
 
あの臨死体験には、わたし自身の理性でさえ、とらえにくい所がいくつかあります。
でも、わたしの思考力が拡大していけば、そのうちいつか説明できるように
なるんじゃないかと思います。

それは、あの次元には時間と空間が存在しない、ということと関係があります。
そこで、あなたの質問に対する答ですが、あのことを本当に理解するには、
わたしたちの時間の観念を変え、時間に対する理解の仕方を変える必要が
あるような気がします。

あれは全然、わたしたちがこの世界で理解しているような
「連続した時間の中の人生」 とか 「連続した時間の中のできごと」 とか
いう感じじゃなかったんですから。


【臨体研】
あなたは 「幻想を超えた見方」 ができるようになって、
今、どういう人生を送っておられるのか、もう少し話していただけますか?


【アニータ】
わたしは幻想という言葉を使っていいものかどうか、迷うことがあります。
だってこの世に生きていれば、それは本当に確かなものとして感じられますし、
ほとんどの人にとってはそれが唯一の実世界なんですものね。
痛みを感じている人にとっては、それがただの幻想だなんて言われると、
苛立たしい気がするでしょう。

でも、わたしはそういうことを言ってるんじゃないんです。
もっと状況に即して説明すると、こういうことです。

心に留めておいていただきたいんですが、わたしはあの意識状態の時、
時間も空間もない別種の世界に目覚めたという感じがしていて、
そちらから見ると、こちらの物質世界は幻想か夢のように見えたんです。

そこでは時間さえもが幻想で、時間というのは、3次元世界でわたしたちの理性が
情報を一列に並べて理解するために必要なものなんだ、という感じがしました。

そしてね、あの領域では、そこにレンガ造りの壁があっても、距離が離れていても、
わたしが必要な情報を得ることの妨げにはならなかったんです。
そして、過去、現在、未来という区別もなかったんです。
すべてのことが同時進行で存在してました。

でもわたしたちの理性は、そういうことを一列に並べて理解するために、
時間・空間という幻想を生み出さなければならないんですね。

あの時わたしは集合意識を超えた世界に目覚めた感じがし、
それまで生きてきた人生は、わたしの思いと思い込みが生み出した、
ただの幻想、夢であり、人類の集合意識が現象化したものだった、と感じられました。

そして、その覚醒した意識の中で、わたしは自分の癌も幻想の一部だ
ということがわかり、それはわたしの思いと、その時までわたしが 「自分」 だと
思い込んでいた者が生み出したものだということがわかったんです。

そして、「本当の自分」 は、完璧で、パワフルで、すばらしい霊的存在だったんだ
ということがわかりました。
また、地球上のどんな人も、他の人より精神的に高いとか低いとか
いうことはないんだ、ということもわかりました。それはただ、その人が
本当の自分自身に気づくかどうかということでしかないんです。

だから今、わたしの生きる道はただ1つ、それは、
この世には許すべきことや裁くべきことは何もないんだ それはみんな
集合意識の思い込みによる幻想なんだ、という気づきを元にして生きることだ
という気がしています。

わたしは今、「神」 とは、わたしの内にあり、あなたの内にあり、
そしてこの地球上の全ての生き物の内にある、何かだと感じています。
だから、わたしたちは完璧でしかありようがないんです。

そこで、ご質問への答ですが、わたしは、この現象界は 「不完全さ」 というものを
見るために用意されているんだという気がします。
ことに、自分自身の不完全さをね。

でも、その幻想を超えて自分自身の素晴らしさに気づき、
それを表していけばいくほど、自分の内にある完璧さがもっと見えるようになり、
ますます素晴らしい人生が展開してきます。

まちがえないでくださいね。
わたしは世界の中に完璧さを見ようと言ってるんじゃありません。
自分の中に完璧さを見ようと言ってるんです。
自分の旅それ自体の中にも、自分が何かに成っていくこと自体の中にも、
完璧さを見るんです。

そうすれば、世界の中で生きる自分にそれが反映してきます。
そして人生がどんどん楽になり、自分もますます愛情深くなります。


【臨体研】
そこで次に質問したいのは、あなたの人生の目的についてなんですが、
それは、「肉体生命として、ただここに居ること」、
「肉体生命として、自己表現をしていくこと」 だと思われますか?
それとも何かもっと他にありますか?


【アニータ】
わたしにとっては、人生の目的は 「存在すること」 です。
それは 「ここに居ること」 とは違います。 焦点の当て方が違うんです。
「ここに居る」 ということに焦点を合わせると、自分を見失ってしまうことがあります。.
この現象世界には、他の人たちのバージョンの人生がいっぱいありますからね。

でも、「存在すること」 を目的にすれば、
それは 「自分であること」 という意味だから、自分バージョンの人生に従って
(または自分バージョンの人生を創って) いくだけでいいことになります。

わたしにとっては、それが本来の自分の自己表現になります。
わたしの人生の目的は、最大限に自分でいることです。

臨死体験をするまでは、わたしは人生の目的を外に向かって追求してました。
でもあの体験で、自分の外に在るものなんか何もないし、追求すべきものなんか
何もないんだということがわかりました。
ただ自分でいさえすれば、外面はひとりでに整っていくんです。


【臨体研】
あなたが以前やっていた 「人生の目的を外に向かって追求していく」 ということと、
今やっている 「ただ自分でいる」 ということの違いを、
もう少し説明してもらえませんか?


【アニータ】
外に向かって追求していると、世界は競争で手に入れるべき、限りあるものに
見えてきます。そしてわたしたちは外面的な物差しで自分の達成度を測ります。
わたしは、そこに幻想があるという気がします。

「自分が自分であること」 には、供給量の限界なんかありません。
ふつう、わたしたちは、自分の存在価値を目標達成度で測っているようです。
でも、わたしはもうそんなことはしませんし、幸せな人たちは、そういうことは
していないと思います。
わたしが言いたいのは、見方を変えよう、ということです。

自分が金持ちだろうと貧乏だろうと、体に障害があろうとなかろうと、
愛する人がいようといまいと、他にどんな条件があろうとなかろうと、
存在としての自分自身のすばらしさを見てみましょう。
わたしは今、自分自身でいることだけを心がけています。

わたしは今、自分の人生の創り主、自分の人生という作品を生み出す芸術家
なんです。もう外面的な競争のことをあれこれ考えるなんてことはしません。

わたしたちは一人一人がユニークです。
固有の特質や能力を持っています。
わたしがやらなければならないのは、自分でいること、自分らしさを表現することだけ。

本物の芸術家は、自分より上手に創造する者がいるかどうかなんて気にしません。
自分自身を表現することだけで忙し過ぎるし、表現すること自体が目的だからです。
自分の中に何かを発見し、その美をただ表現するだけ。
そうすれば世界がそれを楽しみます。

自分の内部の美をを見つけ出して表現すればするほど、世界はそれを楽しみ、
その喜びを返してくれるんです。
それが 「自分でいること」 と「 追求すること」 の違いです。


【臨体研】
あなたに起こったことは、誰にでも達成できることだと思いますか?


【アニータ】
はっきりとはわかりませんが、できるような気がします。
わたしは自分が「選ばれた者」だとか、地球上の誰よりも特別だという感じは
しませんから。
じゃあ、わたしは、自分が体験したあの意識状態を 「再現する」 ことは
できるでしょうか? 答は 「イエス」 です。

現に今も、その意識状態で日々暮らしている感じがしています。
他の人について言えば、一人一人がユニークだという気がします。
だから、情報の処理の仕方も一人一人違います。
理知的な人もいれば、創造的な人もいるし、科学的な人もいれば、
宗教に答を求める人もいます。

わたしが言いたいのは、違っていていいんだ、ということです。
わたしたちはみんなユニークなんです。
わたしにはわたしなりの情報処理の仕方や表現の仕方がありますが、
それが合わない人も大勢いるでしょう。
わたしは 「わたしの人生」 という特殊条件の産物に過ぎないんですから。

でもね、人生情報の処理の仕方は色々であっても、それは自分を束縛したり、
人生経験を狭めたりするものじゃなく、自分に役立ち、自分を伸ばしていけるもの、
自分の世界観を広げていくものじゃないといけないと思うんです。

あなたの過去や現在がどんなものであっても、考え方を変えると人生が変わり得る
という可能性に心を開いてみてください。
わたしに起こったことについて言えば、そういうことが一人の人間に起こり得る
ものなら、どうしてもっと起こり続けないはずがあるでしょう? 

どうすればわたしたちは集合意識にそれを受け入れることができるでしょう? 
どうすればそれを受け入れられるほどに自分自身を広げていけるでしょう?

この問に対して、わたしは自分用の答しか持っていません。
自分がやっている情報処理の仕方しか知らないからです。
わたしは自分自身にこういうことが起こり得るような処理の仕方ができるだけです。
でも、絶対的な答は知らなくても、今のわたしには、
自分が今いる段階の完璧さが見えるだけ。

自分を広げていくことを個人的な旅とし、一日ごとに経験を増やしていきたいと
思っています。
そして自分をどんどん表現していくにつれて、ますます宇宙とつながっている感じが
しています。それを手放して新しい見方を取り入れてみようとしないことが、
人類の集合意識を進化させられない原因だという気はするんですけどね。
あ、でも、それはただわたしの個人的な見方ですから!


【臨体研】
「思い込みに執着してそれを手放そうとしないことが、人類の集合意識を
進化させられない原因」 ということについて、もう少し説明してもらえませんか?


【アニータ】
わたしには、肉体としてのわたしたちの人生は、
特定の形に仮定した物事のまわりに築き上げられているという気がするんです。
でもね、人々は物事が特定の形であることを当てにしています。
それによって暮らしが成り立ってるんです。

わたしたちの健康も、健やかさも、安心感も、
物事が特定の形であるという前提の上に成り立っています。
人々の人生は、数々の思い込みを基にして築き上げられ、まわりの人みんなが
その思い込みを真実だと思っている枠組みの中で、生活が成り立っています。

まわりの人みんなが何かを信じていれば、
あなたもそのことを信じがちになり、それを真実だと思いこんでしまいます。
そして人類の集合意識としてのあなたの人生は、
そういう 「真実」 とみなされた物事を基にして展開していきます。

そういうあり方が、永い間、続いて来てるんです。
そのあり方にも、土台にも、がっちりとした安定感があるからですね。
わたしたちはそうやってこの現象界 (幻想界) を創り出して来たんだな、
ということが、あの4次元世界で感じられました。

みんなで共通の思い込みを重ねて来たから、
それが真実として人類の集合意識に組み込まれてしまったんですね。

もし集合意識としてのわたしたちが、全く別の物事を信じたら、
世界はその思い込みを現象化したものになるでしょう。
あの観点から見ると、わたしたちの思い込みの集積が、
この 「真実」 という幻想を創っているんだと感じられました。

でもここで付け加えたいんですが、世界が今のようなあり方になっている
ということは、たぶんまだ本当の真実を知る用意ができてないからなんでしょう。
人類は、まだ幻想を打ち砕かれる用意ができてないんです。

すべての物事が今在るような形で在るのは、すべての人々の思いと思いこみが
それを支えているからです。
だから、もし、この幻想の向こうが見える人がやって来ると、
幻想の中で生きている人々にとっては、自分たちの幻想を変えるよりも、
そのメッセンジャーを排斥する方がずっと簡単です。

幻想を変えるとなると、不安と大混乱が起こるでしょう。
それは一晩で成し遂げられるようなことではありません。
人類の集合意識はそれを受け入れることができないんです。

もしみんなが一晩で幻想の向こうを見てしまうと、すべてのことを違った見方で
見なくてはならなくなり、それは大混乱を引き起こすでしょう。
(幻想の向こうが見える人は、安らぎと愛をもたらそうとしていたのにね。)

医療制度も、司法制度も、教育制度も、宗教制度も、すっかり洗い直し、
見直さなければならなくなります。そんなことは一晩ではできませんよね。

でも、幻想の向こうが見える人たちは、そういうことがわかっています。
そして、そういうことがわかる人は、自分の現象界を創造していく時、
集合意識から生み出された物事に基づかないで、自分自身の真実に基づいて
それを行います。

宇宙は無理のないペースで変化しています。
だから、幻想の向こうが見える人たちは、
あるがままの物事の中に完璧さを見ることができるんです。

戦争、貧富の差、宗教と科学の食い違いなど、この世に見られる 「衝突」 は、
1つの意識が目覚め始め、人類の集合意識の幻想を超えて見始める過程で起こる、
自然なできごとの1つに過ぎないのかもしれません。

すべての物事は、わたしたちの脆弱な意識で処理するのにぴったりのペースで
起こっています。
世界の今の状態を見ると、まだ本物の実在を扱うようにはなっていないようです。
人類の集合意識は、まだそれを扱う用意ができてないんですね。

もしかしたら、永久にその時は来ないのかもしれません。
わたしたちはこの世にいる間、このレベルで物事を扱うように定められているのかも
しれません。でもわたしには確かに、幻想を超えて見るというこの能力は、
本人が選びさえすれば、誰にでも得られるものだという気がしてるんです。


【臨体研】
アニータさん、時間をかけて質問に答え、体験についてもさらに詳しく話して
くださって、ありがとうございました。
あなたの臨死体験は国際的な関心を呼び起こしていますが、
ここでお話しくださったことは、その体験のわかりにくい部分の理解を助ける、
とても貴重なものだとと思います。
あなたとご家族に心からの愛を贈ります。
これからもその臨死体験を広めて、すべての人に聞かせてあげてください。



--------------
以上で5回に亘る、アニータさんの臨死体験の和訳ご紹介を終わります。
最後に、貴重な体験を公開して下さったアニータさん、和訳して下さったゆうこさん
この情報を教えて下さった 「つむじ風」の飄平さん Hiromiさん、
「魂の法則」翻訳家の真理さん、皆さんに感謝致します。 ありがとうございましたm(__)m




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